yukoku_sayo’s diary

今はほぼsyx。他のことは吐き出したくなった時に。

説説英雄1

ドラマをこの世に出してくださって本当にありがとうございます。

 

ドラマを見て、より一層説英雄が好きになったし、語りたくなった。

(内容はあれですが、ドラマを批評する意図は全くない。ただ説英雄の話をしたくなっただけ。これは説英雄に対するラブレター。日本語で書いているのも、ドラマを絶対に傷つけたくないから。ドラマがこのまま批評され続けるのは本当に耐えられない。ドラマチョット思うところはあるけど、本当にありがとうございます。ドラマが始まってから毎日が楽しくてしょうがない。)

 

全部私の妄想なので、である口調で言い切ってますが、「な気がする」をつけて読んでくれ…

 

残虐なことがなければ、大事を為す素質は生まれないとでも思っているのか?白愁飛の大志がその身を焼き尽くすほどの怨恨に裏打ちされなければ、蘇楼主に取って代わるという大業を成し遂げられないとでも?

错了。そんなはずがない。

 

己の夢を拠り所にして大事を為す。あの場所にはこういう種類の人間がいる。いることが許される。

 

独歩天下の野心で、高く高く空へ飛び上がりたいと想う心で、どれだけ倒れても、いつか大業を成そうと再び起き上がれる人がいる。これが、白愁飛が白幽夢であり、白鷹揚、白游今、白金龍、白高唐、白明である所以だ。

 

天下人を描くために悲劇は必ずしも必要ではない。逆に言えば、天下を描くからこそ、夢を拠り所に人を描ける。

多くの天下人は、ただ天下を取りたいという夢とその身一つで成り上がってきた。まさか、仇を討つために天下を取りたいと思ったのか?まさか、恨みを晴らすために天下を取りたいと思ったのか?どれも違う。野望と大志と夢があってこそ彼らを描ける。

 

仇を討ち、恩に報い、義を貫き、公道を成す。それだけだったら好漢の話で十分だ。

 

しかし、これは英雄の話だ。英雄について説きたいのならば、

野望を語れ。大志を語れ。夢を語れ。

 

「悲劇があってこそ、英雄が出てくる。」

 

この言葉の意味は一つじゃない。 

 

夢を追い求め大志を成し遂げるために生きた人間が辿り着く先は、確かに過酷だ。なぜなら、彼らは曲がりなりにも「己の」夢のためにその手に他人の命を乗せたのだから。それでも、過酷なだけだ。

 

私が受け取ってこそ、その辿り着く先が悲「劇」となり、「噢,原来他就是英雄。」この一句が引き出されてこそ、彼らがやっと英雄となり得る。

 

この言葉には、こういう意味もあると思う。

 

白愁飛は想飛之心で、誰もたどり着けつないほど空高くまで飛び上がり、蘇夢枕は彼の夢で、誰もたどり着かなかった高い峰へと上りつめた。

だからこそ、これは英雄たちの話なのだ。

 

過つこと無かれ、悲劇とは何かを。

侮ることなかれ、英雄とは何かを。